【書籍紹介】「悪と全体主義」―ハンナ・アーレントから考える 仲正 昌樹(著)

本日の書籍紹介は、「悪と全体主義」―ハンナ・アーレントから考える 仲正 昌樹(著)です。

—- 目 次 —-
序 章 『全体主義の起源』はなぜ難しいのか?
第1章 ユダヤ人という「内なる異分子」
第2章 「人種思想」は帝国主義から生まれた
第3章 大衆は「世界観」を欲望する
第4章 「汎庸」な悪の正体
終 章 「人間」であるために

久しぶりに、良書に当たったような気がします。 なぜなら、「人間とは」というお題を掲げると、色々な角度から、ものを見てゆかないと、我々「ホモサピエンス(人類)」が、どのように進化して、どのように、構造的にダメなのかが見えてきません。

「自然科学系」の書籍も良いですが、たまには、社会学、思想、哲学的な書籍も読む機会が有っても良いのではないかと思います。

1.人間の普遍的な本性

言葉を話す人類、言葉を話さない生き物も、本質的な部分は似ていますが、人類が言葉を話すからと言って、言葉を話さない生き物より賢いと限りません。

むしろ、言葉を話すから厄介なんでしょう。 言葉を話せても、考えることを停止してしまうと、とんでもない世界へ引きずり込まれることになってしまう危うさをいつの時代でも含んでいる。

ナチスによるユダヤ人大量虐殺の問題に取り組んだ「ハンナ・アーレント」の著作をヒントにして、考察しています。

トランプ政権下でベストセラーになった『全体主義の起源』、アーレント批判を巻き起こした問題の書『エルサレムのアイヒマン』を読み、疑似宗教的世界観に呑み込まれない思考法を解き明かす。

全体主義は、いかにして起こり、なぜ誰も止められなかったのか。この漠然とした現象の起源と機序を「歴史的」考察によって突き止めようと試みたのです。

言葉を話す人類、言葉を話さない生き物も、本質的な部分は似ていますが、人類が言葉を話すからと言って、動物より賢いと限りません。

むしろ、言葉を話すから厄介なんでしょう。 言葉を話せても、考えることを停止してしまうと、とんでもない世界へ引きずり込まれることになってしまう危うさを現代でも含んでいる。

議論する事、多様な意見がある事、難しい事、これを避けようとすると、人類は、同じことを何回でも繰り返す、ろくでもなさ、うすきみ悪さ、危うさを含んでいます。

2.『エルサレムのアイヒマン』

この本著を読んでいて、第二次世界大戦時の日本とドイツは、構造的に違うんだろうと考えていましたが、為政者が「大衆」を操る方法は、やはり似ていると感じます。

確かに、ドイツの場合は、ヒットラーという、「サイコパス」をみんなで投票で選んでしまったと云う経緯は有りますが、戦後、アルゼンチンに逃れていた、ナチス政権下でホロコーストを指揮した「アイヒマン」をとっ捕まえて、裁判を行うが、「凶悪で残忍な人間に違いない」と思っていたが、そうでは無かったと「ハンナ・アーレント」は『エルサレムのアイヒマン』で言ってしまい、アメリカ社会から猛烈な批判を浴びています。 しかし、この批判は何を物語っているのか?

アイヒマンは、上役の「命令」に従っただけでなく、自分は「法」にも従ったのだと主張したのです。「ユダヤ人が憎かったのではない」と。。。

人間は、どんなに「善人」面をしても、思考を停止すると「悪」に染まることがあるという事です。 「スタンフォード監獄実験」、「ミルグラム実験」でも明らかです。

人は、条件が整えば、誰でもアイヒマンになり得るという事です。

3.私が思い出し、想像できる範囲で云えば、「オウム真理教」の犯罪行為です。

「松本智津夫」という「サイコパス」に支配された世界で、逃げ出すこともできなくなり、次々と指示に従って実行してしまった「知能」の高い集団、自分も世の中が嫌になり、あの集団の中で、もてはやされて、小さな悪事から始まって、正当化されて、気が付けば、もうそこから抜け出せない状態(逃げれば殺される)状態まではまってしまえば、自分が生き残るために、従うしかなくなる状況に嵌(はま)ってしまうかもしれません。

悪事が露呈して、捕まれば、死刑になることが分かっていても、今その瞬間に、先に抹殺されたくないなめに加担してしまう。 これが人間です。 悪事を働くのを止めて、当局に逃げ込めるか?

本書に「サイコパス」という言葉は一切出てきませんが、大衆は「サイコパス」的人間いや、頭の配線のおかしい「化け物」に、思考を停止させられ、支配されると、どんな「悪事」にも加担してしまうという事です。

4.構造的な欠陥を抱える人間に、AI(人工知能)を近づけてはいけない

そうです。 AI(人工知能)を人間らしく進化させると、ろくでもないことになるのです。

ですので、AI(人工知能)は「人間」に近づけては、絶対にいけないのです。

巨大IT企業のある幹部は、「暴走すれば、電源を抜けばいいだろう」と言っていますが、そんな簡単ではありません。

5.戦後、「悲惨さを語り継ぐ」ことの愚かさ

いつも、戦後70年以上経ち、終戦記念日(敗戦記念日)になると、戦時中の悲惨さを語り継ごうとする動きが毎年のように起こりますが、大切なことは、「悲惨さを語り継ぐ」ことではありません。

第二次世界大戦時の日本も同じように、この『全体主義』の真っただ中にいましたが、「鬼畜米英」と言っていた、いま、まだ生きている高齢の「じいさん、ばあさん」戦争が始まり負けたその日まで、何が起こっていたのか、「犠牲者」面しないで、ちゃんと説明してほしいものです。

愚かな「大衆」が、なせ、戦争に巻き込まれるかを「語り継ぐ」べきなのですが、どんなに文明社会が進んでも、「思考を停止した大衆」が存在する限り、また同じことを繰り返すのが人類なのかもしれません。

年に1冊の書籍も、自腹で購入して読む事も無い、自分の「無知」さにも気が付かない、バカが世の中の大半を占めていますので、いかんともしようがありません。

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