保護者の所得は学力にどれほど影響があるのか?  非常に興味深い内容の記事を見つけましたので紹介します。

保護者の所得は学力にどれほど影響があるのか?

「格差社会」と云われていますが、非常に興味深い内容の記事を見つけましたので紹介します。

私が思う結論としては、確かに影響はあるが、影響がなくても「学力」低い人間は幾らでもいるという事です。これは、ゆとり教育のせいでもない。

もっと、具体的に言えば、知能指数(IQ)の低い人達を除いての話ですが、通常の知能指数を持っていても、親の所得が高くても、「学力」低い人間は幾らでもいます。

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1.そもそも、「学力」ってなんだろう?

知的レベルのあまり高くない大人たちから、よく聞こえてくる言葉に「学校のお勉強って、社会に出て、あまり役に立たないよね」です。。。。。

「学校のお勉強って」社会に出てから役に立つものなんて、初めから少ない事を知らない。

お勉強って、半分以上は、世の中に出て、色々な問題を解くための練習、問題、物事を「認識」する為の練習、訓練です。微分、積分を社会に出て、使っている人は限られています。

お勉強は、それ自体を覚える事ではなく、色々な事柄の問題を「紐」解くための訓練(力)をしているのだと云う事を知らない。 丸暗記して、一時、いい成績を取れば良い。。。としか思っていない。 脳で云えば「海馬」の記憶に頼るテスト勉強ですか。。。

「問題を解くための練習、問題を認識する為の練習、訓練」だとすると、練習、訓練に計画性が必要になりますが、時間がかかり、生活に余裕と、なかなか身に付かないのも確かです。

「学力」の意味を字のごとく、「学ぶ力」だとすると、テストでいい成績を取れば、学力があると判断して良いのでしょうか。 ちょっと違いますよね。

「学ぶ力」は、一生継続していないと意味がありません。

学校にいる時は、ある程度の成績を上げていても、社会に出て、知的レベルの低い人間は、腐るほど存在しています。

2.福井県が、学力、全国一で、わが北海道が、最下位に近い位置にいる。。。

何ででしょうか? 北海道のチビッ子って、そんなに「頭」悪いのでしょうか?

格差社会と云うなら、北海道は、福井県より貧乏な親が多く住んでいるのでしょうか?
そんな事は無いでしょう。 確かに、子供と地域の繋がりが、薄いのかもしれません。

札幌市で云えば、ちょっと、東京都などと違う処が有ります。

東京は、高い学費のかかる「私学」に成績の良い子が入学しますが、札幌市の場合は、少なくても、私立は頭の悪い子、公立高校(東、西、南、北)が頭の良い子が入学すると相場が決まっています。 その意味では、親の所得が高くなくても進学校に通えるのです。

その私立の高い学費のかかる学校に、ちゃんと行かしてもらっている子供達が多いのです。
私立に通えるほど、裕福な家庭の子の方が、学力が低いのです。 全部ではありませんが。。

大学でも、私立で有名な大学なんて、1校も有りません。 全国の偏差値レベルで云えば、ほぼ、底辺の私大ばかりです。スポーツで有名な処は有るかもしれませんが。。。

3.北海道(札幌市)の場合、親の経済上の格差が学力に差をもたらす。。。と必ずしもなっていないのです。

「親の経済上の格差」ではなく、「親の知的レベルの格差、生活環境の格差」があるように思います。 分かり易く云えば、「両親」自体が「ヤンキー」みたいなもんです。

札幌に住んでいる住民の何割にもわたる人達は、ちょっと前までは北海道の「ど田舎」に暮らしていた人達で、せいぜい、2代目か、3代目でしょう。 親自体が、子共が、お勉強が出来なくても、何とかなるだろうとしか考えていません。

「親の経済上の格差」ではなく、「親の知的レベルの格差」、「生活環境の格差」を引きずっている場合が多いように思います。

北海道には、教育者も親も含めて「お勉強だけできても。。。」という考え方をする。

つまり、田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃんと同じ生活習慣で暮らしていることに何も疑問点、問題点など無い。。。。と思い込んでいる。 それが当たり前だとしか思わないのです。

私の場合、北海道の北の外れの小さな町で育ち、家は本当に貧乏でした。中学生になるまで、高校の次に、「大学」がある事も知りませんでした!!。

中学生の時に病を患い、札幌の養護学校のある病院に入院する為に札幌市に出てこれました。

小学校、中学校、高校と色々な疾患で入院している若い人達と、知りあう事になったのですが、高校生の先輩たちが一番強烈でした。 札幌南高校、函館ラサールの生徒が入院して居たのですが、カルチャーショックと云うか、自分とは、余りにもレベルが違い過ぎて、本当に愕然としました。

成績が良いとか悪いとか言うより、すでに、政治、経済、社会の事まで、会話にのぼり、私が会話に入り込む余地は、1mmも無い状態でした。

田舎に居た時は、頭の中は「筋肉」で、スポーツは身体能力が高かったので、なんでもできましたし、喧嘩をする相手が居ないほど、普通の大人以上の筋力が有りましたが。。。。「頭」の中も、筋肉で、中身は空っぽでした。 お勉強する習慣さえありませんでした。

入院生活をしていた先輩達のテストの成績が良いか、悪いかよりも、話している、会話している内容が、全然違うのです。 私など、ダダの「バカ」ガキでした。 先輩たちは、もちろん、新聞も、雑誌も、書籍もちゃんと読んでいる姿を見て、。。。。自分は、教科書しか開いていない。 「思考」、「物事の認識」のレベルが違うのです。

こんなに、違うのか。。。。と、ただ勉強ができれば、良いのではないと云う事を気づかされましたが、まずは、この「空っぽの頭」に詰め込む為に、2年前に学んだはずの教科書を開いて、欠落している学力、知識を身に付けることから始めなければなりませんでした。 たいへん優秀な先輩たちが、たくさん居ましたので、お勉強を教えてもらうには事欠きませんでしたが、大変感謝しています。

病院での療養生活が無ければ、札幌の公立高校にも行けなかっただろうし、大学へも入学できなかっただろうと、つくづく思います。

札幌で高校生活を送っていた時、田舎で家が裕福だった同級生の一部は、中学を卒業して、札幌に出てきて、札幌の高校に通っていましたが、私以外は、私立高校で。。。札幌で再会した時は、「お前がなんで、公立高校なの?。。。」と云う顔をしていました。

親も同じように、数年間、療養生活をしていましたので、私立の学校になど行かせる余裕などないのは、理解していましたので、必死でした。

私の場合、札幌の病院での療養生活が、自分を変えるきっかけになったように思います。

「保護者の所得は、学力にどれほど影響があるのか?」という問いに、「あまり影響ない場合もあるのだ。」と云う事もあるのです。

つまり、自分の「バカ」さ加減に気がつき、生活習慣まで変える努力を継続する意思があるか無いかだけです。

そこまで追い詰められた貧しい生活をしている友達は居なかったように思います。ただ、親の不仲で、荒れていた子は居ましたが。。。

4.「所得格差」と「学力格差」に密接な関係がある事は、認識せざるを得ないが、「無知の連鎖」は、「貧困の連鎖」と、必ずしもリンクしない場合がある。

結局、「学力」、「学ぶ力」って、「継続する力、能力」で、教育期間が過ぎて、社会に出ても、好奇心や探究心など「知に対する継続する力」が無いと、田舎の爺さん、婆さんたちが、苦労して育てた子供も、大きくなって、都会に進出して、同じように仕事して、家に帰って、風呂入って、飯食って、テレビを観てバカ笑いして、クソして、何の疑問も無く、寝るだけの生活をしていれば、「立派なバカ」になるでしょう。

「立派なバカ」故に、何とかしなくてはと思う、疑問も認識も焦りも無いまま、一生を送る。

「所得格差」と「学力格差」に密接な関係がある事は、認識せざるを得ないが、「無知の連鎖」は、「貧困の連鎖」と、必ずしもリンクしない場合がある。

親の所得が高くても、「無知の連鎖」は、一生続くのです。 親の価値観が連鎖するからです。

その「無知の連鎖」を断ち切るのは、自分しかないのです。

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