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【オートバイの記事】 風間深志73歳、人生初の日本一周ツーリングへ Vol.03 北海道最北端「宗谷岬」到達

2023-11-18、
ちょっと、懐かしいので、バイク乗りのお話です。
風間深志73歳、人生初の日本一周ツーリングへ Vol.03 北海道最北端「宗谷岬」到達 です。
WEB「オートバイ(雑誌)」の記事です。 写真もお借りしました。

宗谷岬に居合わせた観光客と、旅のライダーさんにも一緒にフレームインしてもらって記念写真。この場所より北はないから、なんだかとても最高なのだ……。ここ宗谷岬に来たのは10回以上になるが、バイクで自宅から通しで来たのは初めてになるかもしれない? 何だかとても”やった〜!”感が強かった。

まずは、この写真から、画像の向かって右端は風間さんで、真ん中2人は、私の昔(40年以上前)からの友人たちで、昔、私が通っていたバイク屋さんのオーナーと従業員です。
風間さんも、昔「風魔プラスワン」というバイク屋さんを東京で経営していて、私の友人のお店で商品を扱っていた関係で、お付き合いが始まった様で、今でも札幌に風間さんが来ると一緒に遊んでいるようです。私も、何度か、風間さんとお会いしたことがあります。70歳を過ぎてもバイクに乗っている姿には感心します。

風間さんは、山梨県出身で、史上初のオートバイによる北極点・南極点到達チョモランマ(エベレスト)世界最高高度6005m達成パリ・ダカールラリー二輪部門へ日本人として初めて挑戦、これまで数々の挑戦を成し遂げてきた人ですが、何回目かのパリダカ出場中に、パリからアフリカに渡るのですが、アフリカに着く前に、ヨーロッパの地で、交通事故で足を大けがをして、その後、復帰しています。今では、息子さんが、パリダカに挑戦しています。

「パリダカ」で完走するという事は、並大抵ではなく、速さ、テクニックだけでなく、サバイバルの才能もないと完走できません。私も、若い頃、アフリカの砂漠を全開走行する、このパリダカに出場してみたかったですね。叶いませんでしたが夢でした。

 

1.バイクに乗っていて良かった事

1)沢山の仲間や友達が大勢できた事です。

私が学生時代に、通っていた札幌の円山にあったホンダのバイク屋さんで知り合い、その後、彼は独立してバイク屋さんを始めました。その流れで、私も、お店を行ったり来たりしていました。円山にあったホンダのバイク屋さんの仲間たちも含めて、本当に、自分も含めてですが変わった奴らばかりで、今考えると、グレーゾーンも含めて「発達障害児」の集まりではなかったと思います。当時は、勉強不足で気が付かなかった。

それでも、バイクの事となると、共通の話題があるので、お店にたむろしたり、ツーリング、夏はキャンプツーリングと楽しい事が沢山ありました。 私より5歳くらい年上のお兄さんが沢山いまして、そのおかげで、年上の(今では爺さんですが)お兄さんたちの扱いに慣れていましたので、社会に出て役に立ちました。

札幌の人口は、百万人の都市になり、冬季オリンピックが終わった頃でしたが、当時は、はみ出しそうな若者たちの遊び場所が沢山ありましたが、今は、家の中で一人、「バカゲーム」三昧ですので、人と関わることが少なっているのでしょうね。いつまでも小学生みたいな大人バカ「ガキ」が多いのも納得です。

2)私より5歳くらい年上のお兄さん

私などは、今でも、このお兄さんたちから、何て言われているかと云えば「昔から、お前が一番生意気だけと、外せないよなー」と言われます。生意気なことを惜しみなく言うのですが、ちゃんと上下関係は忘れずに、いう事をきいて上げるのです。その「心」があれば、嫌われないで、やって行ける事を覚えました。

特に、ASD(自閉症スペクトラム症)グレーゾンの若い子たちならば、この事に気が付けば、社会に出て「会社」組織の中でも上手くやってゆけるでしょう。

 

3)若い娘たちとの付き合い

もう一つ、良かった点は、友人が独立してバイク屋さんを始めた頃、私は、コンピューターの学校に入る為に札幌に戻ってきたのですが、ちょうどバイクが流行っていた頃で、女性のバイク乗りのお客さんがたくさん居て、その中でも札幌のバイクショップの中で一番、女子が多かったのです。

そこで、学校に通いながら、色々、お店を手伝っていました。ちょうど「自爆事故」でけがをしていましたので、ツーリングの時など、女の子たちの面倒をまとめて観るようになり、モテキがやってきました。
なんせ、乗り始めて3か月も経たない娘たちまで連れて、「林道」メインの「ニセコの温泉に一泊ツーリング」に行くのですから大変で、超低速でも、落ちこぼれない様に「大丈夫だよ!」と言いながら、しんがりを走らされて、初心者の娘たちの面倒を観ていましたので、温泉の宴会でも私が一番モテていました。私に冷たくすれば、帰りに置いて行かれるのが恐かったのでしょう。

これで、二十歳過ぎまで、彼女など居ませんでしたが、彼女ではありませんが、あれだけたくさん若い娘たちが私の周りに居るとかわゆくてそれだけで満足でした。女の子の扱いには、完全に慣れました。
この頃は、結婚なんて、1mmも考えていませんでしたので、楽しい仲間たちで、彼女たちも、もう結婚して子供たちも大きくなって独立していますが、昔の娘たちとはまだお付き合いがあります。お互い歳を取りましたが。

持てる秘訣は、「彼女欲しい」という下心で近づかない事で、どの娘にも「平等で面倒見の良いお兄さん」の姿勢で臨むことです。

ですので、現在、「スタバ」の娘たちとも、ジジイになりましたが、仲の良い子たちとは、時々、ご飯を食べに行ったりと遊んでいます。先日も、天気が良かったので、ランチを食べて、札幌から千歳に帰るスタバの娘が2人いましたので、千歳市まで、「支笏湖」経由でクルマで送りましたが、支笏湖に到着した時には、日が暮れて真っ暗で、支笏湖が見えませんでした。それでも野生の「シカ」2組、タヌキ1匹に出会いました!!この時期、夜の山道は飛ばして走れません。野生動物がひょっこり出てくるからです。

東京で暮らしている、30歳近くになる実の娘には「何、若い娘たちと遊んでんだ!」と叱られますが、「はっ?」と言ってボケます。

 

最後に、

昔のバイク仲間で、未だに乗っているのは、何人かいますが、殆んどはバイクから降りています。私も去年、復活しようとしましたが、バイク屋さんで、「ホンダのCRF250ラリー」にまたがろうとして、身長は180cm以上あるのですが、シート高が高いので、足がシートにひっかかり跨げませんでしたので、愕然となり、購入するのを取り止め、何を考えたのか?「ABCクッキング」で料理を習おうと通いましたが、楽しすぎて、全然、勉強になりませんでした。

コロナ禍が3年続きましたが、何も困らず、いつも通リでした。今は、お店も賑わいを取り戻し、街に人が多すぎで、今の方が大変です。何でしょう? 歩き、ながらスマホをするスマホ中毒の「バカ女」どもが多すぎて、世の中、こんなもんなんでしょうね。

この様に、毎年、何か新しい事に挑戦しようとしますが、不発に終わるのです。こんなもんでしょう人生は。今年もあと1か月少しで、終わりますが、冬を越して春になったら、何をするか考える必要があります。

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