2026-07-31、
本日のお題は、最上あい刺殺事件 被害者も加害者も悲惨な生い立ちの中で育ち、出会っているが、こんな破綻するようなもの同士が出会わないようにするは不可能か?
結論から言うと、自由社会において「破綻する可能性のある者同士が『出会うこと自体』を未然に防ぐ」のは、現実的には不可能です。
世の中、男性たちから総額約1億5千万円を騙し取り、逮捕された「頂き女子 りりちゃん」(加害者がつかまり、被害者に殺されないでよかった)など、色々な、寂しいい男・女が沢山いるのですが、普通に「推し活」をやっているうちは良いのですが、金をたくさん「貢がせても」なんとも思わない子たちが、ほかにもたくさんいると思います。
これは、普通の会社などでも、ありうることです。
社内で、女どもは、業者などからもらった食べ物、飲み物は当然の様にもらうが、自分で身銭を切って買ってくることはないのです。大抵の場合、机の引き出しを1つ開けると、引き出し一つ丸ごと、クソみたいな「おやつ」が格納された引き出しになっています。
SNSを通じて「弱者」を自称する人々が結びつき、特定の個人から金を奪い取る仕組みは、被害者だけでなく加害者自身をもさらなる不安定な人間関係へと追い込む結果を招いている。
幼少期の養育環境、発達障害、愛着障害などにより、「他人との貸し借り」、「恩」、「ギブ&テイク」などと言った言葉を辞書に持たない(心に無い)人間たちが大勢いるのです。
私の場合、よく、「くそアマ」、「バカアマ」と揶揄しますが、こんなクズが沢山いることは、ちゃんと認識しています。 普通の人は「身の保身」のために絶対言いませんが、私は普通に言います。
「くそ」アマ、「バカ」アマと。。。。多分、世の中の半分以上がそうでしょう。
ただ、男は、この「クソ」から生まれてきているので、同じようなクソが沢山いることだけは確かです。
1.破綻するようなもの同士が出会わないようにするは不可能か?
両方とも、悲惨な生い立ちの中で育ち、結局、その中で、食い物にされ方が、自分を顧みず、法を犯し殺してしまった。報道を追うと、この事件は単純な「加害者/被害者」の図式に収まりきらない構造をしています。
高野被告側は、複雑な家庭環境から一人切り離され、消費者金融に追われ、貯金が底を突き、「助けて」とLINEを送り続けても既読すらつかない状態に置かれていた。
一方で佐藤さん側も、配信という「稼ぐ手段」の中で、視聴者から金銭を引き出す関係性を維持せざるを得なかった側面がある。
つまりこの二人は、加害者が被害者を一方的に食い物にしたという単純な構図ではなく、互いが互いにとって、生きるための頼みの綱であり、同時に搾取の対象でもあったという、歪んだ相互依存関係だったように見えます。
そのうえで高野被告は、自分の困窮と孤立のすべてを佐藤さんとの関係に懸けてしまい、それが崩れたときに、自分を顧みず一線を越えた。彼の生育歴(父親からの勘当、貧困)は、なぜ彼がこれほどまでに一人の相手に依存し、そこでの裏切りに耐えられなかったのかを説明する背景にはなると思います。
ただ、ここで一つ大事な線引きがあると思います。「なぜそうなったか」を理解することと、「だから仕方なかった」と結論することは別物だということです。同じように孤立し、困窮し、裏切られたと感じた人の大多数は、それでも人を殺しません。彼が「法を犯し殺してしまった」のは、生い立ちだけでは説明しきれない、彼自身の選択の結果でもあります。判決でも「酌むべき事情」は考慮されつつ、懲役16年という実刑が下されているのは、まさにこの両面――背景への一定の理解と、行為への明確な責任追及――のバランスを取った結果だと思います。
この事件に感じている「悲惨さ」は、加害者の行為を免責するものではなく、二人がもっと早い段階で、別の形の支えに出会えていればという、構造への問いなのだと思います。それは十分に正当な問いです。前の回答で挙げたような、施設出身者へのアフターケア、困窮者を狙う金銭搾取への歯止め、孤立した人が唯一の関係に全てを懸けずに済むような相談先の存在――こうしたものが機能していれば、少なくとも「行き着く先」は変わり得たかもしれません。
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2.両親や社会から裏切り続けられた人間たちは、普通の愛情をもって育てられた人間と根本的に、何が欠落してしまうのか?
この質問は発達心理学・愛着理論の中核的なテーマです。
答えは「何かが欠けている」という単純な欠損モデルではなく、土台となる仕組みそのものが違う形で作られる、という理解の方が実態に近いと思います。いくつかの観点から整理します。
1)「自分は守られる存在だ」という前提の有無
「Bowlby」の愛着理論では、乳幼児期に安定した養育者との関係を通じて「内的作業モデル」(internal working model)というものが形成されるとされます。これは「自分は助けを求めれば応えてもらえる存在だ」「他者は基本的に自分を害さない」という、意識化されない前提のようなものです。
親や社会から繰り返し裏切られた経験を持つ人は、この前提そのものが「他者は最終的に自分を見捨てる/利用する」という形で構築されます。これは「人を信じられない」という感情の問題というより、対人関係を処理する際のデフォルト設定が違う、というレベルの話です。普通の愛情で育った人が「基本的に安全」というOSの上で人間関係を動かしているとすれば、裏切られ続けた人は「基本的に危険」というOSの上で同じことをしている。
2)感情の自己調整能力の育ち方
乳幼児は本来、泣く・不安になるといった感情の乱れを、養育者との相互作用(あやす、抱く、応答する)を通じて「一緒に鎮める」経験を繰り返すことで、次第に自分一人でも感情を調整できるようになっていきます(co-regulation → self-regulationへの移行)。
この経験が乏しいと、大人になっても感情の急激な高まりを自分の内側だけで処理する力が育ちにくく、強いストレス下で衝動が行動化しやすい傾向が指摘されています。これは「我慢が足りない」という意志の問題ではなく、感情を落ち着かせる神経系の回路そのものの発達差に近いものです。
3)「見捨てられる」ことへの過敏さと、しがみつきの強さ
一貫した愛着対象を持てなかった人は、皮肉なことに、成人後の関係において見捨てられることへの感度が非常に高くなり、同時に一つの関係に過度に依存しやすくなることがあります。ようやく手に入れた「自分を必要としてくれる相手」を失うことが、単なる悲しみではなく、存在そのものが崩れるような感覚になりやすい。今回の事件で加害者側が一人の相手にすべてを懸けていったような構図は、この力学と重なって見えます。
4)自己価値の外部依存
安定した愛情の中で育つと、自己価値は比較的「内側」から(自分はこのままで大丈夫だという感覚として)支えられます。裏切られ続けた人は、自己価値を「今この人に必要とされているかどうか」という外部の反応に依存させやすく、それが失われることへの耐性が低くなります。
ただし、ここで強調しておきたいのは、これらはすべて確率的・傾向的な話であり、決定論ではないということです。
ACE研究(逆境的小児期体験の研究)でも、逆境経験が多いほど成人後の困難のリスクは統計的に上がりますが、同じような逆境を経験しても、一人でも「安定して自分を見てくれた大人」(親族でも教師でも)がいた人は、そうでない人に比べて著しく違う軌道をたどることが分かっています。
これは “resilience factor“(レジリエンス要因)と呼ばれるもので、逆境そのものより「どれだけ孤立していたか」の方が結果を左右するとも言われます。つまり、両親や社会からの裏切りが「根本的に欠如させる」のは、能力や人間性そのものではなく、「安全である」という前提を無条件に持てるかどうかです。
そしてこの前提の欠如は、その後の人生でどれだけ「裏切らない他者」に出会えるかによって、ある程度は書き換えが可能なものでもあります。今回の事件の悲劇性は、まさに二人とも、その書き換えの機会に恵まれないまま、互いへの依存が唯一の支えになってしまった点にあるように思います。
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