本日のおもしろ記事は、 今のF1は体力的に厳しくない? ハミルトン「だから18歳でもデビューできる」です。
たまには、F1のお話と、一般社会のドライビングについて
1.F1
1)昔のF1(フォーミュラー1)
昔は、車体は、「鋼管スペースフレーム(分かりやすく云えば、鉄パイプで組み上げた車体)」で、エンジン後ろに配置して、リアのサス周りをくっ付けて車体と一体化させていましたので、まるで棺桶に乗っている感じで、事故ればドライバーが亡くなる事も頻繁に発生していました。
昔は、シフトレバー、ブレーキ、アクセル、ステアリングをパワーアシストなしにドライブしていたわけでが、シフトレバーがパドルシフト、ステアリングがパワーアシスト付き、これが体力を消耗する事の無くなった一番の要因なのです。
ブレーキは市販車と違い、アシストは無いが、ストッピングを強力にして、自分の足の力で調節するダイレクト感を大事にしている。
2)マクラーレンのハミルトン選手の時代
F1を40年以上、観てきましたが、昔のF1と違い、パワステ、ギヤシフトもパドルシフト、ブレーキだけは、パワーアシストではなく、現在はブレーキと「回生(充電エネルギーとして使用する)」の協調制御をおこない、駆動輪の後輪がロックしないように、ブレーキの前後バランスは電子制御で自動化できるようになっている様です。
アクセルペダルは、キャブのスロットルに直接ワイヤーで繋がっていないで、フライバイワイヤーという電子制御でスロットルの開閉を行っている。
シフトレバー方式のシフトチェンジやクラッチの操作が、無くなった分だけ、ドライビングに集中できて、速く走れるようになったのでは? と思うのですが、そうでもない?。
そして、今は、窯で焼いた「カーボンモノコック」のバスタブで囲まれた「コックピット」になっていて、少々の事では、潰れない構造になっていますし、頭の上には「ハロ」が付いていますので、転倒やコックピットのヘルメットの近くに物が飛んできてもガードできるようになっています。
3)F1は、ヨーロッパの文化です。 しょせん、暇つぶしの自動車競走でしょう。
バックヤードビルダーが作ったクリマに、ドライビングセンスのある若者を乗せて、「おらの作った車が、一番、速いだろう!!!」的な発想で、日本のクルマ文化とは、クルマ社会の歴史が違います。
自分達で作ったクルマを走らせて遊ぶ。。。そう足にするのではなく、暇つぶしに、クルマを走らせ、競争して遊ぶのです。
それにしても、バックヤードで、レーシングカーを製作して、走らせるだけの工業技術力が、平気にあったんですね。
過去と言っても、F1の歴史から云えば現代に近いのですが、マキF1が、ヨーロッパのF1を目指して挑戦していますが、その頃の若いメカニックたちは、もう御大になっているでしょう。
日本にも、そんな挑戦者たちが居て、その後の日本のレース界を支えていたのです。
4)体力が無くてもできるのって、スポーツでしょうか
若いドライバーは、「レーシングカート」から上がってくるから、カートはアシストはほぼ無し、ステアリングとブレーキペダル、アクセルペダルしか付いていませんので、フォーミュラーカーにアシストが付いて、慣れれば、体力がそんなに無くても、ドライビングできてしまうんでしょうね。
「体力が無くてもできるのって、スポーツなんでしょうか」とハミルトンは言っていますが、テニス、野球、サッカーと違い、自分で走るのではなく、自動車に乗り上手く走らせる「遊び」ではないかと思います。
そうです。 元々、女子でもドライビングセンスさえあれば、瞬間的には男と対等に勝負できる「競争する遊び」ではないかと思います。
モニターを見ながら行うバーチャルの「対戦ゲーム」が、スポーツになりつつあります。
体力差に関係なくても「競争」するものは、指先しか使わなくても、みなスポーツなのでしょうか?
そもそも、オリンピックも、戦争しない代わりに行う「戦争ごっこ」ですが、スポーツなんでしょう。
2.一般社会のドライビングについて
1)高齢者が増えて、高齢者による事故が目立っています
私の場合は、バイクも車も大好きで、雪国の札幌で、一年中バイクに乗っていたこともあります。
自分の感覚としては、気持ちだけは若く、まだいけると思っていますので、まだバイクにも乗れると思いますが、もう少し、長生きしたければ、辞めた方が良いと心の中で思うのです。
昔、楽しかった、クルマやバイクのドライビングに替わる、「おもしろい」と思う事をしていれば、せっかく降りたクルマやバイクのドライビングにこだわる必要もなくなるではと思います。
更に今は、足代わりにするような「自動車」に、今さら乗っても、つまんないのです。クルマは、私にとっては足代わりではなく、ただの「オモチャ」です。
更に云えば、「オモチャ」として使いこなす様な、高性能の高価なクルマは、もう買えませんので、足代わりにするような「クルマ」を欲しいと思うのは、土砂降りの雨の日か、吹雪の日くらいしかありません。 そんな時は、いつもではありませんので、タクシーに乗れば良いだけです。
もう、腹いっぱい、クルマやバイクに乗ったのですから、バカの一つ覚えは終わりです。
これでちょっと速いクルマなどを購入したもんなら、確実に、若い娘たちのアッシー君になってしまうのは、もう確実で、それだけは止めようと思います。
2)ただ、グダグダと街中を走るだけの運転しか知らない人や、やっとの人
ただ、グダグダと街中を走るだけの運転しか知らない人は、注意力、判断力、反射神経、動体視力など、脳と体の連携作業の問題は、本人はなかなか、衰えている事を自覚するのは難しいでしょう。
全く遅いのですが、事故を起こして、初めて気が付くのです。 ダメだ!。。と。
本来、ブレーキとアクセルを踏み間違えるだけではなく、アクセルペダルをブレーキペダルを間違えて、アクセルペダル踏み続ける「脳」と「体」の認知能力がいかれているんです。
もし、間違っている事に気づけば、足を瞬時にブレーキペダルに修正、移動するでしょう。それさえ瞬時にできないのです。目・耳で感じて、脳が、足に指令を出す神経系が連動しなくなっているのです。
ドライビングが未熟なのではなく、体と脳の連携が取れなくなっているのです。運転マナーの悪い奴もたくさん居ますが、それ以前の問題が発生しています。
欧州(ヨーロッパ)などの国などでは、どうなんでしょう。
どこの国でも、高齢者が運転していると思うのですが、ブレーキとアクセルを踏み間違えて、それを修正できなくて、暴走させる様な間抜けな事故が多発しているのでしょうか?
あまり聞かないですね。
「爆走老人」は確実に居ると思いますが、ブレーキとアクセルを踏み間違えて、それを修正できなくて、暴走させる様な間抜けな事故を起こす老人は居ないような気がします。
「間抜け」というより、自分の脳と体の反応が、同期が取れなくなっている事を、事故を起こさないと、痛い目に合わないと「認識」できない哀れさでもあります。
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