2025-08-06、
今年の夏、近代の「戦争」関連の書籍を数十冊読んで、ちょっと今まで認識していた事柄とは、ちょっと違う考えが浮かび上がってきました。
戦争は、ヨーロッパの様な大陸国では、何千年も前から、他国と戦っている歴史があり、片や「日本」はせいぜい、戦国時代、同じ日本人同士としか戦ったことのない歴史しかない民族で、米国などは、それこそヨーロッパの荒くれ者・はみ出し者たちが移民して作った国で、海千山千どころの話ではないくらい戦いに長けていたのです。 「情報戦」然りで、第二次世界大戦時など、日本軍などは全部すっぱ抜かれていたでしょう。日本軍の「真珠湾」攻撃などは、まず相手(日本)に叩かせてから戦うという手を見事に使っている。
どんな考えかと云うと、日本軍の軍隊は本当の意味において優秀ではなかったということです。
以前考えていたのは、明治維新以来「武士道」や教養を有した軍人たちが多いと思い込んでいたが、全くそうではなかった。 すでに、もうそんな精神を有した奴は居なかったのです。
今どきの言葉で云えば、
昭和10年代戦争を始めた軍人たちは、陸軍大学で勉強ができた「腐れガキ」が多く、知性や教養なども無い、ただのロボットのような幹部の職業軍人たちの存在だと、小賢しくも「統帥権干犯」を利用して無策な軍事行動を次々と起こした。代表的なのは東条英機などがそうでしょう。
■欧米列強が、なぜ、中国を全部「植民地化」しなかったのか?
日本は全部を支配しようと戦っていたが、中国軍は、攻めると逃げ回っていると言われていたが、そうではなく、奥地まで誘い込む作戦で、中国の4千年の歴史を欧米は研究し尽くして、そんな真似をするとコストがかかりすぎると、イギリスなどは絶対にしようとはしなかったが、中国の恐ろしい戦いの歴史を知らないアホの日本軍は、奥地まで追い回していた。中国が戦時にみせる残酷さを極致に達している事を知らなかったのです。
例えば、殺されると、手足をもがれ、時には性器が口の中に入れられた、首と胴体だけの遺体が、道路に数十メートルおきに並べられていた。 こんなのを兵士がみれば、気が狂ってしまうでしょう。
日本が負けて、米国からマッカーサーがやってきて、日本という国を見て、「日本人は幼稚な民族」だと米議会で直接言ったわけではないが、戦後の日本社会を「12歳の少年」に例えたのは事実です。
先日テレビで、原爆を投下された街で、署名活動をしていた婦人が、署名をお願いした人に、去年、原水協(原水爆禁止日本協議会)がノーベール平和賞を取ったことを問われて、「知らない」と答えていたが、いつの時代にも、バカやアホ、無知が存在するのだという事を確信した。 投下された街でさえ戦後80年経つとそんな事さえ認識されずにくらいしている「愚民」がたくさんいるのです。
間違ったのではなく、全てが、稚拙で、人間として幼かったのだという思いが、湧いてくるのです。悲しい歴史ですが、バカやアホが多く居る「愚民」の国では、この先百年経っても何も変わらないでしょう。
<目次>
第一章 「昭和百年」とは何だったのか――左翼史観に歪められた歴史の見方
第二章 「あの戦争」とは何だったのか――大きな戦略に呑み込まれた日中・対米戦争
第三章 「二・二六事件」とは何だったのか――狂信者たちの目的は達成された
第四章 「東京裁判」は何だったのか――平和と人道という名の下の復讐
第五章 「高度成長」とは何だったのか――経済官僚が挑んだ軍人への復讐戦
第六章 「田中角栄」とは何だったのか――大衆の生贄にされた無作為の社会主義者
第七章 「昭和天皇」とは何だったのか――時代の象徴にして人間天皇という二面性
第八章 「戦後八〇年」とは何だったのか――言葉の呪縛と思考停止の時代
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■その代表的な戦犯が「東條英機」で保坂氏は、東條をコテンパンに言ってるが、そんなに偏屈で悪いか?
保坂正康氏が東條英機を厳しく評価するのは、彼の歴史観の根幹にある考え方に基づいています。保坂氏は、特定の思想や感情に流されることなく、膨大な数の証言や一次史料を丹念に検証し、客観的な事実から歴史の教訓を引き出そうと努めています。
保坂氏が東條英機を批判する主な理由は、彼が独裁者ではなく「組織人」として戦争を推進した点にあります。
■小刻みな出世と組織への忠誠:
東條は陸軍という組織の中で、能力を高く評価され、着実に昇進を重ねていきました。しかし、その過程で彼が重んじたのは、個人の思想や戦略ではなく、組織の論理と秩序でした。
■「全体」の利益を優先:
東條は陸軍全体の利益を第一に考え、異論を唱える者(石原莞爾など)を排除していきました。彼は、特定の思想を持って独裁を試みたというより、組織の意思を忠実に実行する「忠実な番犬」であったと保坂氏は見ています。
■責任の所在の曖昧さ:
組織人として行動した東條の姿勢は、結果的に戦争責任を特定の個人に帰属することを難しくしました。戦争の失敗は東條一人の責任ではなく、彼を支え、戦争を推進した組織全体の責任であると考えるべきだ、というのが保坂氏の主張です。
このように、保坂氏は東條を「偏屈で悪い人間」という単純な枠組みで捉えるのではなく、当時の時代背景と組織の力学の中で、どのようにして彼が最高指導者となり、戦争という悲劇を招いていったのかを深く掘り下げています。
保坂氏の評価は、東條英機を単なる悪役として片付けるのではなく、「なぜ彼のような人物が権力を握り、国を誤らせたのか」という本質的な問いを私たちに突きつけるものと言えるでしょう。
東条英機は、懸命にアメリカにぶつかって叩きのめされ、死刑になった。
戦争を始めるのは、ドイツの様な「独裁者」だけとは限らないのです。日本の場合は、「東條英機」など単なる悪役として片付けるのではなく、組織人として「なぜ彼のような人物が権力を握り、国を誤らせたのか」という本質的な問いが必要です。 独裁者でなくても、戦争を推し進めてしまう事が出来てしまうのです。
戦争を二度と起こさない様に、皆で考えるのは不可能です。 「愚民」がたくさんいる国では、話し合うだけ無駄です。 バカやアホは、目先の事ばかりで反省など絶対しないのです。
そうですね。 せいぜい、その時だけ、悲惨な事があったという事だけしか理解できないでしょう。
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