2026-01-07、
私の場合は、芸能人に対する「推し活」とは違い、スタバはいつもお話しできる、すぐに手の届く位置にいる、自分の娘のような、他人の娘(おチビ)さんたちです。 握手会やサイン会でしか会話ができないような存在ではないのです。そこが全然違うところでもあります。
だからこそ、スタバの普通の客たちと、ちょっと違う付き合いのある娘たちの差が、目につくのです。
もう、20年近く、スタバでバイトする「おチビさん」達とかかわっていますので、「プリキュア」の様な衣装を着た娘たちに会いにコンサート(どう見ても、幼稚園児のお遊戯会にしか見えない)に行くことは絶対にないのです。
さらに言えば、昔から、コンサートに行くことは、絶対にないので、テレビやビデオで放映される会場の様子をを観て、あの一体感がとても不思議で、しかも「不気味」に思えてしまうのです!!
1.身近な学生さんとの接し方で悩んでいる訳ではないが
「推し活」とはちょっと違い、物を食わせたり、与えたりしていると、慣れてしまい当たり前の様になるのは仕方がないのか?
スタバの娘たちと仲良くなるのは、世間一般で言うところの「推し活」とはちょっと違うのです。
身近な学生さんとの接し方で悩んでいる訳ではないが、推し活とはちょっと違うのだが、物を食わせたり、与えたりしていると、慣れてしまい当たり前の様になるのは仕方がないのか?
それは「教育」や「支援」の現場、あるいは個人的な厚意で誰かを支えている際によく直面する、問題です。
結論から言えば、
「与えられ続けると当たり前になる」のは人間の心理的な性質上、ある種「不可避」な側面があります。 なぜそうなってしまうのか、そしてどう向き合えばよいのか、いくつかの視点で整理してみます。
1)「適応」という脳の仕組み
人間には、刺激や環境に慣れる「順応(適応)」という能力があります。
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初期:初めて何かを与えられたときは「特別」で、強い感謝や驚きを感じます。
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継続:繰り返されるうちに、脳はその状態を「生存に必要なデフォルト(標準)」と認識します。
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結果:
感謝が消えるのではなく、「あって当然のもの」という認識に上書きされるため、無くなった時に初めて「不満」として現れるようになります。
2)「心理的負債」を回避しようとする防衛本能
ずっと何かをもらい続けている状態は、本来、受け取り手にとって「お返しができない」という心理的負担(負債感)を生みます。
しかし、若い学生などの場合、その負担から逃れるために、無意識に「これは自分がもらうべき正当な権利だ」、「相手が好きでやっていることだ」と正当化して、心のバランスを保とうとすることがあります。これが、端から見ると「図々しさ」や「当たり前感」に見えるのです。
3)「甘え」と「信頼」の境界線
学生が礼儀を欠いて見えるのは、ある意味で相手に全幅の信頼(甘え)を寄せているサインでもあります。 「この人はこれをしても怒らない」「自分を受け入れてくれている」という安心感が、本来外で見せるべき「緊張感のある礼儀」を緩ませてしまうのです。
世間一般で言うところの「推し活」は、芸能人、アイドルなどのファンになり、結局、金を使い応援する仕組みですが、似ているようで似ていない部分はあるような気がします。
■ファンにとっての推し活は、精神的な充足感や生活の質の向上に直結します。
日々の活力と幸福感 推しの活動を見ることでドーパミンやセロトニンが分泌され、ストレス解消や「明日も頑張ろう」という前向きな意欲が湧きます。—これはあまり関係ない。
孤独感の解消とコミュニティ形成 SNSやライブ会場を通じて「同じ価値観を持つ仲間(ファン友)」と繋がることができ、所属意識や連帯感を得られます。—これもあまり関係ない。
自己成長のきっかけ 「推しに恥じない自分でありたい」「推しの言葉を理解するために語学を学びたい」といった、自分磨きや新しいスキル習得のモチベーションになります。—これだけ無関係。
感情のデトックス 推しの作品に触れて感動し、涙を流したり笑ったりすることで、日常生活で抑え込みがちな感情を解放できます。—これも無関係。
はっきり言えないのは、その学生さんとの関係を大切に思っているからこそですし、何より「せっかくの厚意を、お説教や恩着せがましい言葉で台無しにしたくない」という、美学や優しさがあるからではないでしょうか。
直接的に「もっとありがたがれ」と言うのは、柄ではないし、野暮だという感覚。でも、相手の態度が「当然」という空気になってくると、心の中にモヤッとした澱(おり)が溜まってしまいますよね。
角を立てずに、それとなく「当たり前ではないこと」を伝え、関係性をリセットするための「柔らかい戦略」をいくつかあるとすれば。
4)大切なのは「心の守り方」
はっきり言えない以上、相手が変わるのを待つよりも、「自身のルール」を少しだけ変えてみるのが楽かもしれません。
「この子が当たり前のような顔をし始めたら、少し間隔を空けるサインだな」と、自分の中で基準を決めておくだけでも、ストレスは軽減されます。あなたの善意が、あなた自身の重荷にならないことが一番大切です。
もしよろしければ、その学生さんとの今の距離感や、どのようなシチュエーションで「当たり前感」を一番強く感じるか、もう少し伺えますか?それに合わせた具体的な「かわし方」を一緒に考えられるかもしれません。
2.スタバの学生くらいの年齢で、大学を卒業するまでの期間接しているが、礼儀をわきまえている子と、そうでない子の違いはどこからくるのだろうか?
学生という多感な時期に、礼儀正しい子とそうでない子の差がどこから生まれるのか。これは非常に興味深く、かつ面白い問題でも有ります。
ちゃんと、できる子とそうでない子にはっきり分かれる。
その違いは、単なる「性格」という言葉だけで片付けられるものではなく、複数の要因がパズルのピースのように組み合わさって形作られていると思う。
1)家庭環境と「日常の風景」
最も大きな要因の一つは、やはり家庭での習慣です。
ここでいう教育とは、「マナーを教え込む」という堅苦しいものだけではない。
• 鏡としての親:
親が店員さんに「ありがとうございます」と言っているか、挨拶を自分からしているか。子供は教えられたことよりも、「親が日常的にやっていること」を無意識にコピーします。
• 心理的安全性の確保:
感情を否定されずに育った子は、心の余裕を持ちやすく、他者に対しても敬意を払う精神的な土壌が育ちます。
2)「なぜ礼儀が必要か」の理解度
礼儀を「守らなければならないルール(型)」として捉えているか、「円滑なコミュニケーションの道具」として捉えているかの違いです。
• 想像力の有無:
「ここで挨拶をしたら相手はどう感じるか」「不作法をしたら相手にどんな負担がかかるか」という他者視点(シミュレーション能力)が育っている子は、自然と礼儀正しく振る舞います。
• 成功体験:
丁寧な言葉遣いをしたことで得をした、あるいは優しくされたという実体験がある子は、礼儀の価値を自得しています。
3)所属するコミュニティ(環境)の影響
学生にとって、家庭と同じくらい影響力が強いのが「友人関係」や「部活動」です。
• 同調圧力の質:
周囲が「礼儀正しくすることがカッコ悪い」とする文化(反抗期特有のノリなど)の中にいると、あえて崩した態度を取ることがあります。
• 指導者の存在:
尊敬できる先生や先輩から「型」を教わり、それが自分を律することに繋がると気づいた子は、劇的に振る舞いが変わります。
4)自己肯定感の高さ
意外かもしれないが、自分を大切に思えているかどうかは礼儀に直結します。
• 自分を安売りしたくない、あるいは自分に誇りを持っている子は、自然と背筋が伸び、言葉遣いも丁寧になります。
「自分は価値のある人間だから、それにふさわしい振る舞いをしよう」という無意識の自尊心です。
最後に、
礼儀は「心の余裕」の表れか?
私の立場では、何か物をもらう時、その時だけ、喜んだ顔をしているだけでは、かわゆくもなんでもないのです。 「体を触らせろ」と、いやらしい見返りを求めているわけでもなく、仕事が終わった時とか、仕事抜きで店に来ているとき、ちゃんとお話ができればいいのですが、何か物をもらう時、その時だけ、喜んだ顔をしているだけで、すぐに居なくなり付き合いの悪い子は、どうしてもかわゆくないのです。
見返りは求めていないのですが、お話をする時間も与えてくれない子は、ちょっと、何なの? 忙しいモテモテの「芸能人」か? と思ってしまいます。
たったこれだけの事なのですが、そんなことが、わからない子は、まだ「おチビさん」ですのでわからないのかもしれませんが、ちゃんとわかってる子は、私に付き合っておしゃべりしてくれます。
結局のところ、礼儀とは相手に対する想像力であり、その想像力を働かせるための「心の余白」があるかどうかが、違いを生んでいるのかもしれません。
もう一つ言えるのは、発達障害のグレーゾーンにいる子もいます。聞くと、やはり親のどちらかもその傾向を持っている場合もあり、仕方ない場合もある。
「おかしい子」の中には、発達障害のグレーゾーンにいる子もいますのですが、それを指摘する訳にも行かず、私の場合、幽霊は見えませんが、発達障害の子は、勉強していますので詳しく分かり、何人も言い当てたこともありますが、しかし「精神科医」ではありませんので本人には言えません。
スタバの子達とはもう20年近く付き合いがあるので、身近な学生さんとの接し方で悩んでいる訳ではないが、本当に色々な娘が居て面白いのです。
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